明日、10月1日から、カスタマーハラスメント(いわゆるカスハラ)への対策が、事業主の法律上の義務になります。大きな会社だけの話ではなく、従業員を雇う事業主が対象です。
社長「先生、うちは飲食店でも小売店でもないし、カスハラなんて関係ないと思てたんです。そやのに先週、事務の子が取引先からの電話で30分くらい怒鳴られてたって、あとから聞いたんですよ……」
鎌倉「電話でも、取引先の方からでも、カスハラに当たる場合があります。その社員さんは、翌日も出社されましたか」
社長「来てはくれてるんですけど、電話が鳴るたびに、ちょっとビクッとするんですよ」
明日から、カスハラ対策は「努力」ではなく「義務」になります
2025年6月11日に公布された改正労働施策総合推進法により、顧客等からの著しい迷惑行為(カスタマーハラスメント)を防ぐための措置が、事業主に義務づけられます。施行は2026年10月1日です。あわせて、2026年2月26日には、具体的な進め方を示すカスタマーハラスメント防止指針が公布されています(厚生労働省の公表資料による)。
この記事では、法律の中身をおさらいしたうえで、「対策を作る前に、経営者が知っておきたい社員の心の動き」までお伝えします。制度だけ整えても、現場の社員が我慢し続けていれば、いつか静かに辞めていってしまうからです。
そもそもカスハラとは?——「ただのクレーム」との線引きは3つの条件
厚生労働省のリーフレットでは、職場におけるカスハラを、次の3つの要素をすべて満たすものと説明しています。
1 | 顧客等の言動であること 顧客・取引先・施設の利用者など。これから買うかもしれない人や、電話・SNSも含む |
2 | 社会通念上、許される範囲を超えていること 要求の中身、または手段・態様が、常識の範囲を超えている |
3 | 就業環境が害されること 働く人が、心や体の面で仕事に支障が出る状態になる |
3つすべてを満たしたものがカスハラです。出典:厚生労働省リーフレット「カスタマーハラスメント対策の義務化」
「許される範囲を超えている」の例として、リーフレットには次のようなものが挙げられています。
- 要求の中身が不当なもの:理由のない要求、契約で想定したサービスを著しく超える要求、対応が不可能な要求、不当な損害賠償の要求
- 手段や態様が不当なもの:暴行や傷害、脅迫・中傷・侮辱・暴言、土下座の強要、威圧的な言動、継続的で執拗な言動、居座りなど
なお、お客様からの正当なご意見やご要望まで排除する制度ではありません。厚生労働省のリーフレットも、対策にあたっては消費者の権利や障害者差別解消法に留意する必要があると明記しています。
「うちは接客業じゃないから」は本当か——調査が示す現実
厚生労働省の委託事業「令和5年度 職場のハラスメントに関する実態調査」(2024年5月17日公表)は、企業7,780社(2023年12月調査)と、20〜64歳の労働者8,000名(2024年1月調査)の回答をもとにしています。カスハラに関する主な数字は次のとおりです。
出典:厚生労働省委託事業「令和5年度 職場のハラスメントに関する実態調査」(2024年5月17日公表)。労働者調査はインターネット調査で、結果はすべての会社に同じ傾向が当てはまることを示すものではありません。
業種別に見ると、経験した割合が高かったのは「生活関連サービス業、娯楽業」(16.6%)、「卸売業、小売業」(16.0%)、「宿泊業、飲食サービス業」(16.0%)でした。一方で、職種ごとの差は大きくなく、お客様や取引先と接する頻度が多いほど、受けた割合が高いという結果になっています。
受けた内容としては、「継続的な、執拗な言動」(57.3%)、「威圧的な言動」(50.2%)、「精神的な攻撃」(33.1%)が上位です。行為者は「顧客等(患者やその家族等を含む)」が82.3%で、「取引先等の他社の従業員・役員」も22.6%ありました(複数回答)。
つまり、店頭に立たない会社でも、電話や訪問で取引先と接する社員がいれば、カスハラは他人事ではないということです。冒頭の社長の会社のように、事務の社員が電話口で受けるケースは、実際に起こり得ます。
経験した人は減ったのに、相談が増えている。この数字をどう読むか
実は、カスハラを受けたと答えた労働者の割合は、令和2年度の15.0%から10.8%へと4.2ポイント下がっています。それでも、企業に「相談があった」割合は上がり、件数が増えたと答える企業のほうが多くなっています。
この食い違いの理由は、この調査だけでは分かりません。考えられる可能性の1つは、社会の関心が高まり、「これは我慢しなくていいことだ」と声を上げる人が増えたことです。ただ、これはあくまで可能性です。確かなのは、企業が相談を受ける機会が増えているということです。
会社が講じなければならない措置は、大きく4つ
義務化されるのは、次のような措置です(厚生労働省のリーフレットより)。難しく見えますが、整理すると4つのまとまりです。
出典:厚生労働省リーフレット「カスタマーハラスメント対策の義務化」。詳細は厚生労働省の防止指針をご確認ください。
「対処のしかた」の例として、リーフレットには次のような内容が挙げられています。管理監督者にその場の対応を仰ぐこと、可能な限り社員を一人で対応させないこと、犯罪に当たり得る言動は警察に通報すること、本社に情報を共有して指示を仰ぐことなどです。
義務化で見落とされがちな、2つの注意点
1つ目は、「お客様を排除する制度ではない」という点です。先ほどのとおり、消費者の権利や、障害を理由とする不当な差別的取扱いの禁止・合理的配慮の提供義務に留意する必要があります。「ちょっと厳しい意見」を、すぐにカスハラと決めつけない線引きの目線が、会社側にも求められます。
2つ目は、自社の社員が加害者側になる場合です。自社の社員が取引先の社員にカスハラをしたとして、その取引先の事業主から事実確認への協力を求められたときは、応じるよう努めなければならないとされています。「被害に備える」だけでなく、「加害者にならない」ことも、社内で共有しておきたい点です。
同じ日から、面接やインターンの場も「対象」になります
10月1日には、もう1つ、採用担当者にも関わる義務が始まります。求職者等に対するセクシュアルハラスメントの防止措置です。採用面接や就職説明会、インターンシップ、社員への訪問、実習の場での性的な言動が対象で、SNSやオンラインでのやり取りも含まれます。
事業主には、方針の明確化、相談窓口の設置、事後の迅速な対応などが求められ、面談の時間・場所や、やり取りに使うSNSの種類といった「求職活動に関するルール」をあらかじめ決めて周知することも挙げられています。面接での質問のしかたについては、「愛読書は?」と面接で聞いてはいけない理由でも整理しています。
受けた社員の心の中で、いま何が起きているのか——感情労働
ここからが、この記事でいちばんお伝えしたい部分です。カスハラの対策を考えるとき、多くの会社は「マニュアルをどう作るか」から入ります。けれど、その前に知っておきたいのが、社会学者アーリー・ホックシールドが1983年の著書『管理される心』で示した感情労働という考え方です。
ホックシールドは、客室乗務員の仕事を調べ、相手に「安心」や「心地よさ」を感じてもらうために、自分の感情を管理し続ける働き方があることを明らかにしました。腹が立っても、悲しくても、笑顔で丁寧に応える。それが「仕事の一部」になっている状態です。彼女はこの感情の使い方を、大きく2つに分けました。
- 表層演技:本当はそう感じていないのに、表情や言葉だけを取り繕う
- 深層演技:自分の感情そのものを、その場に合うように変えようとする
どちらも心のエネルギーを使いますが、怒鳴られながら笑顔を保つような場面では、表層演技が長く続きやすくなります。感情労働の研究では、内面と表に出す表情のずれが積み重なると、心が疲れやすくなると指摘されています。
「笑顔で対応できる子」が、いちばん危ない
社長「うちの事務の子、電話でもほんまに感じがええんです。お客さんにも評判なんですよ」
鎌倉「その笑顔の裏で、どれだけ気持ちを抑えているかは、見えていますか」
社長「……言われてみたら、怒鳴られた日も、いつも通りに『大丈夫です』って言うてました」
感情労働の視点で見ると、「感じよく対応できる」「大丈夫と言う」社員ほど、周囲からは平気に見えます。しかし本人の中では、表層演技が続いているかもしれません。実態調査でも、カスハラを受けた経験が「一度だけ」であっても、怒りや不満、不安を感じたり、仕事への意欲が減ったりする人が多く、受ける頻度が増えるほど「眠れなくなった」「会社を休むことが増えた」「通院や服薬をした」といったより深刻な影響が増える傾向が示されています。
※これは感情労働の考え方と実態調査の傾向をもとにした、考えられる流れの仮説です。すべての社員がこの順に進む、あるいはこれが退職の原因だと確認された因果の図ではありません。
辞めてからでは遅い。静かに消耗している人のサイン
消耗している社員は、自分から「つらい」と言い出しにくいものです。次のような変化があれば、あくまで目安として、声をかけるきっかけにしてみてください。
- 電話や来客への対応を、それとなく避けるようになった
- ミスや聞き返しが増えた、口数が減った
- 遅刻や休みが増えた、表情が硬い日が続く
心の不調への向き合い方は、ストレスチェック義務化の記事でも触れています。また、「辞めたい」を辞める前に言ってもらえる関係づくりは、退職代行から突然連絡が来たらで書いた内容が、そのまま役に立ちます。
社長が明日決めておく、3つのこと
中小企業は、大企業のように分厚いマニュアルを作る必要はありません。むしろ、社長の一言で動けることが強みです。まずは、次の3つを決めてみてください。
1 | 「社員を守る」と、一文で言い切る 朝礼や社内チャットで、社長の言葉で伝える。「理不尽な要求は、私が前に出る」 |
2 | 「一人で抱えない」ルールを決める 怒鳴られたら、すぐ上司に代わる。代わる合図の言葉を、あらかじめ決めておく |
3 | 「言ってくれてありがとう」を返す 相談窓口は、最初の一言で決まる。責めずに聞く。記録を残す。次の一手を決める |
就業規則や社内規程への反映など、細かい手続きは社会保険労務士にご相談ください。
1つ目の一文は、たとえ短くても、社員にとっては大きな安心になります。2つ目は、「代わっていいんだ」という許可そのものが、心の負担を軽くします。3つ目は、相談窓口を作るだけでは足りない、ということです。最初に相談した社員が「言わなければよかった」と感じてしまえば、その後は誰も相談しなくなります。
ハラスメントが起きてこじれてしまった場合の進め方は、「ハラスメントで訴えられたら」で整理しています。
まとめ
- 2026年10月1日から、カスハラ対策は事業主の義務になる。「顧客等の言動」「社会通念上許される範囲を超える」「就業環境が害される」の3つを満たすものが対象で、取引先や電話も含まれる
- 実態調査(令和5年度・厚生労働省委託)では、労働者の10.8%が過去3年間にカスハラを受け、相談があった企業は27.9%。接客だけの話ではなく、顧客や取引先と接する頻度が高いほど受けやすい
- 感情労働の視点では、「笑顔で大丈夫と言う社員」ほど消耗が見えにくい。社長が「守る」と言い切り、一人で抱えないルールを決め、相談に「ありがとう」を返すことが最初の一歩になる
カスハラ対策や、社員が安心して働ける仕組みづくりでお悩みの際は、経営の伴走顧問でご一緒に整理することもできます。

