「先生、正直、あの一言にはドキッとしました」——先日、ある経営者からそんな相談を受けました。入社してまだ数ヶ月の若手社員から、面談の場で「辞めたいです」と切り出されたそうです。とっさに「そんなことないよ、よくやってるじゃないか」と言い返してしまい、あとになって「あれは逆効果だったかもしれない」と気になっている、という話でした。
「辞めたいです」の一言に、うまく言葉を返せなかった経験がある経営者・上司の方は、少なくないのではないでしょうか。今日は、その瞬間に何を言うべきかを、心理学の知見から考えてみます。
なぜ、その一言にこちらまで動揺してしまうのか
「辞めたいです」と言われた瞬間、頭の中が真っ白になる経営者は少なくありません。育成にかけた時間、次の採用にかかる手間、周囲への影響——いろいろな計算が一瞬で頭をよぎり、気づけば「説得モード」に入ってしまう。これは経営者として自然な反応です。ただ、この反応の順番が、実はうまくいかない結果につながりやすいのです。
「丁寧に指導してほしい」新人が、過去最多に
株式会社リクルートマネジメントソリューションズが発表した「新入社員意識調査2026」(2026年3〜4月実施・新入社員研修受講者3,724名対象・2026年6月22日発表)によると、上司に期待することとして「一人ひとりに対して丁寧に指導すること」を挙げた新入社員は50.1%にのぼり、調査開始以来はじめてトップとなり過去最高を更新しました。一方で「言うべきことは言い、厳しく指導すること」を求める声も24.0%と3年連続で上昇しており、優しさと厳しさ、両方を求める空気が同時に強まっているのが今の新人の姿です。
出典:リクルートマネジメントソリューションズ「新入社員意識調査2026」(研修受講者3,724名・2026年6月22日発表)。「一人ひとりに丁寧に指導」は調査開始以来はじめてトップ、「言うべきことは言い、厳しく指導」は3年連続で上昇。
この調査は研修受講者を対象にしたものであり、すべての新入社員に同じ傾向がそのまま当てはまるわけではありません。ただ、丁寧な向き合い方へのニーズが年々高まっていることは、多くの現場の実感とも重なるのではないでしょうか。
それでも、辞めたい一言は出てくる
どれだけ丁寧に育てても、「辞めたいです」という言葉が出てくる瞬間はなくなりません。むしろ、丁寧に向き合っているからこそ、本音を口にできる関係ができている、とも言えます。問題は、その言葉が出た”後”にどう応じるかです。
反射的な「説得」が、なぜ逆効果になりやすいのか
「先生、正直、あの一言にはドキッとしました。何とか思いとどまってほしくて、いいところを並べて説得してしまったんです」——冒頭の経営者は、そう振り返っていました。「うちの会社にはこんな良いところがある」「あなたには期待している」——気持ちはよくわかりますが、相手がまだ気持ちを受け止めてもらえていない段階で説得の言葉を重ねると、「話を聞いてもらえていない」という感覚だけが残ってしまうことがあります。
感情に名前をつけると、脳の警報は静まる
心理学に「感情ラベリング」という考え方があります。UCLAの研究チームが2007年に発表した実験では、怒りや不安といったネガティブな感情を感じている人に、その感情を言葉にして名づけてもらったところ、脳の警報装置とも言われる扁桃体の反応がおさまることがfMRI(脳機能画像)で確認されました。感情に名前をつけるという、たったそれだけの行為が、脳の警報を静める働きを持っているのです。
出典:UCLAの研究チームが2007年に発表した実験。
「辞めたいです」という一言の裏には、たいてい名前のついていない感情が渦巻いています。しんどさ、焦り、孤独感、申し訳なさ——。説得や理由確認の前に、まずその感情に言葉を当てて返すことが、相手の警報を鎮める最初の一歩になります。
「辞めたいです」への最初の一言
具体的には、こんな返し方があります。「それだけ、しんどい思いをしてきたんだね」「よくここまで、一人で抱えてきたね」。理由を聞くのでも、励ますのでもなく、まず相手の中にある感情をそのまま言葉にして返す。それだけです。正確な言い当てである必要はありません。近い言葉を当てようとする姿勢そのものが伝わることに意味があります。
良いところがある」
✕ 「あなたには期待している」
→ 話を聞いてもらえていない
感覚が残る
してきたんだね」
○ 「よくここまで、一人で
抱えてきたね」
→ 相手の警報を鎮める
最初の一歩
事実を聞くのは、その後でいい
感情を受け止めたあとで、はじめて「何が一番しんどかった?」と事実を尋ねる段階に進みます。順番を間違えると、同じ質問でも尋問のように響いてしまいます。感情を受け止める→事実を聞く→一緒に考える、という3段階を意識するだけで、面談の空気は大きく変わります。
1 | 感情を受け止める 感情に名前をつけて返す。理由の確認や説得はまだしない |
2 | 事実を聞く 「何が一番しんどかった?」と尋ねる。順番を間違えると尋問のように響きます |
3 | 一緒に考える 一度の面談で結論を出そうとせず、次の対話の約束をする |
入社3ヶ月の壁を越えても、この場面は何度でも来る
以前の記事「新人の76%が経験する”入社3ヶ月の壁”」でも触れたとおり、入社直後の早期離職には特有の心理的な波があります。ただ、「辞めたいです」という一言は、3ヶ月を過ぎたからといって出てこなくなるわけではありません。半年後、1年後、節目のたびに、同じ向き合い方が必要になります。
「辞めたい」を言えない新人の方が、実は怖い
ここまで「辞めたいです」と言われた場面を扱ってきましたが、実はもっと注意すべきなのは、言葉にできないまま不満を溜め込んでいるケースです。以前の記事「お盆明けに、社員が辞める」で紹介したように、本人にも気づかれないまま溜まった違和感は、ある日突然、退職の意思としてしか現れないことがあります。「辞めたいです」と言葉にできる関係性は、実はそれだけで一つの成果とも言えるのです。
一度の面談で片づけようとしない
「辞めたいです」への向き合い方で、もう一つ大事なことがあります。それは、一度の面談で結論を出そうとしないことです。感情を受け止め、事実を聞いたら、その日は「一緒に考えよう」というところで一度区切ってよいのです。次の対話の約束をすることが、相手にとって「見捨てられていない」という何よりのメッセージになります。以前の記事「「土曜に休めないなら辞めます」若手社員に戸惑う現場」で紹介した事例のように、一つの要望の裏に別の本音が隠れていることも少なくありません。継続的な対話の中でしか見えてこないものがあります。
中小企業だからこそ、できることがある
大企業のように、専門の人事担当や複数の面談窓口を用意することは難しくても、中小企業には経営者と社員の距離の近さという強みがあります。「辞めたいです」という一言に、経営者自身が時間を取って向き合えることは、決して当たり前のことではなく、むしろ中小企業だからこそできる対応です。
ただし、この向き合い方には練習も要りますし、一人で抱え込むにはエネルギーのいる仕事でもあります。日々の面談・評価・育成の仕組みづくりを継続的に整えていきたい場合は、経営の伴走顧問のようなサポートを活用するのも一つの手です。
まとめ
- 「辞めたいです」には、まず感情に名前をつけて返す(感情ラベリング)。理由を聞くのはその後でいい。
- 反射的な説得は、話を聞いてもらえていないという感覚を残しやすい。感情→事実→一緒に考える、の順番を意識する。
- 一度の面談で結論を出そうとせず、継続的な対話の入口として向き合う。

