「新人の頃はあんなに目をかけていたのに、最近あの子(もう30代ですが)と、あまり話していないな」——そんなふうに感じたことはないでしょうか。
中小企業の経営者は、採用難の時代を生き抜くために、新人・若手への手厚いフォローに力を入れてきました。入社後の面談、こまめな声かけ、丁寧なオンボーディング。その効果は数字にも表れています。しかし、そうやって育て上げた若手が30代になったとき、今度は静かに、しかし確実に、会社への熱量を失っていく——そんな現象が、最新の調査で浮かび上がってきました。
全国1万人調査が映し出した”30代の谷”
アジャイルHR・インテージ・東京大学が共同で実施した「2026年版 全国1万人従業員エンゲージメント調査」(2026年3月・全国15〜79歳の男女10,576人対象)の速報が、興味深いデータを示しています。組織への愛着や仕事への熱意を示す「組織コミットメント」のスコアが、20代以下から30代にかけて大きく落ち込み、その後50代まで低空飛行を続けるというのです。
特に象徴的なのが「成長の機会」を感じられているかを示すスコアです。30代のこの数値は、2023年の2.59から2026年には2.51へとじわじわ下がり続けています。調査では「30歳代自身が”成長の機会”を奪われている現実」が指摘されました。
なぜ20代の数字だけが上がっているのか
同じ調査で、20代以下の「キャリア形成」スコアは2023年の2.41から2026年には2.68へと上昇しています。調査では、企業が早期離職を防ぐために20代へ手厚い対応を行っている可能性が示唆されました。つまり、企業側の努力自体は決して間違っていません。むしろ正しい投資です。問題は、その投資が20代で”止まってしまう”ことにあります。
新人のうちは丁寧に育てられ、期待をかけられ、成長を実感できる。ところが「一人前」になった途端、面談は減り、声かけは減り、新しい挑戦の機会も減っていく。会社からすれば「もう手がかからなくなった、頼もしい存在」ですが、本人からすれば「見てもらえなくなった」という体験に変わっているのかもしれません。
心理的契約とは何か——契約書に書かれていない約束
この現象を理解する手がかりになるのが、組織心理学の”心理的契約”という考え方です。雇用契約書には給与や労働時間は書かれていても、「頑張れば認めてもらえる」「これからも成長させてもらえる」といった期待までは書かれていません。それでも私たちは、働きながら暗黙のうちにそうした約束を会社と交わしていると感じているものです。これが心理的契約です。
この暗黙の約束が守られていると感じられるうちは、多少の無理も「会社のために」頑張れます。ところが、約束が破られた(裏切られた)と感じた瞬間、人は静かに、しかし確実に熱量を失っていきます。表立って抗議することは少なく、多くの場合、口数が減り、提案をしなくなり、やがて転職サイトをそっと開くようになる——という形で表れます。
「独り立ちしたから大丈夫」が違反のはじまり
30代社員の多くは、入社時に「ここで長く成長させてもらえる」という期待を(明確に言葉にしたかどうかは別として)持って働き始めています。新人時代の丁寧な面談やフォローは、その期待を裏づける材料になっていたはずです。
ところが一人前になった途端、会社側の関心が新しい新人へと移り、30代への声かけが「業務連絡」だけになっていく。本人は明確に「約束が破られた」とは感じないかもしれません。それでも「あれ、前ほど気にかけてもらえていないな」という違和感は、じわじわと蓄積していきます。これが、心理的契約の”静かな違反”です。
中小企業ほど、この罠にハマりやすい理由
人手が限られる中小企業では、経営者や上司の時間そのものが希少な資源です。だからこそ、その時間は「今まさに手がかかる新人」に優先的に配分されます。これは合理的な判断ですし、責めるべきことではありません。ただし、その合理性が積み重なった結果として、”一人でできる人”であればあるほど声をかけられなくなる、という逆説が生まれやすいのも事実です。
大企業であれば、人事部門が階層別研修やキャリア面談の仕組みを制度として持っていることが多く、30代であっても定期的に会社と向き合う機会が用意されています。一方、そうした制度を持たない中小企業では、「頼れる中堅」への関心が意図せず薄れやすい構造になっているといえるでしょう。
30代の”静かなSOS”はこうして現れる
心理的契約が損なわれても、30代社員がすぐに不満を口にすることは多くありません。むしろ仕事は淡々とこなし、表面上は何も変わっていないように見えることのほうが多いものです。だからこそ経営者が気づいたときには、すでに次の職場が決まっていた、ということが起こります。以前の記事で取り上げた”静かな退職”も、こうした心理的契約の違反が積み重なった先に起きている現象と重なる部分が少なくありません。
業種・規模で差はあるが、構造は他人事ではない
同調査では業種別の差も報告されており、学術研究・専門技術サービス業でスコアが高い一方、製造業は3年連続で最下位となっています。また従業員数が50人を超えたあたりから、エンゲージメントが大きく低下する傾向も見られました。業種や企業規模によって状況の深刻さは異なり、すべての中小企業が同じ速度でこの”30代の谷”に直面しているわけではありません。それでも、20代への投資と30代への関心のバランスという構造自体は、業種を問わず起こりうるものとして頭の片隅に置いておく価値があります。
「うちの30代、最近ちょっと元気ないんですよね」
ある社長が、ふと漏らした一言です。
「先生、でも入社したての頃はすごく前向きだったんですよ。もう仕事も一人でこなせるようになったし、むしろ順調だと思っていたんですけど」
「順調に見えるからこそ、見落とされやすいんですよ。”できるようになった”ことと、”満たされている”ことは、実は別の話なんです」
対策(1)節目ごとに「期待」を結び直す面談をつくる
心理的契約は、入社時の一度きりで完成するものではありません。役割が変わるたびに結び直す必要があります。新人面談だけで終わらせず、入社3年目・5年目・10年目といった節目に、「これまでの頑張りへの評価」と「これから期待していること」をあらためて言葉にする面談の機会を設けてみてください。特別な制度でなくても構いません。年に一度、15分でも構わないので、意図的にその時間をつくることが大切です。
対策(2)期待を言葉にして、年に一度は伝える
「あなたには期待している」という思いは、経営者の頭の中にあるだけでは相手に伝わりません。心理的契約は、双方の”認識”がすり合っていて初めて機能するものです。評価面談などの機会に、業績の評価だけでなく「この先、あなたにこういう役割を担ってほしいと思っている」という将来への言葉を、意識して添えてみてください。
対策(3)小さな”新しい挑戦”を用意する
成長の実感は、大きな昇進や異動でなくても取り戻せます。後輩の指導役を任せる、新しいプロジェクトの一部を担当してもらう、取引先との折衝を一つ任せてみる。小さくても「まだ自分に新しいことを任せてもらえている」という感覚があるだけで、成長が止まったという感覚は和らぎます。若手社員の離職理由に関する調査でも、「やりがいや意義を感じられるか」が定着の鍵として浮かび上がっていましたが、これは30代にとっても変わらないということでしょう。
「じゃあ、うちの中堅にも、何か新しい役割を渡してみようかな」
「いいですね。それに、上司自身が”部下と向き合う時間を意図的につくる”というのも、実は部下から本音を引き出せるかどうかを左右する大事な要素なんですよ」
30代の中堅社員は、会社にとって最も頼りになる戦力であると同時に、最も見落とされやすい存在でもあります。「できる人だから大丈夫」という思い込みを一度外し、あらためて言葉と時間を届けてみてはいかがでしょうか。
まとめ
- 20代への手厚いフォローは正しい投資だが、それだけでは30代の”成長の機会”の実感は守れない
- 心理的契約(暗黙の期待)は役割が変わるたびに結び直す必要があり、放置は静かな違反として蓄積する
- 節目の面談・言葉にした期待・小さな新しい挑戦の3つで、”見てもらえている”という実感を取り戻せる
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