「社長って自由でいいですよね〜。時間も自分で決められるし」
そんなふうに言われたこと、ありますよね。
でも、そのたびに心の中ではこうつぶやいていたりして
「いやいや、“自由に働ける”って聞こえはええけど、実態は“365日ずっと仕事のこと考えてる人”やで?」
「休みの日も、“今の売上どうなってんやろ…”ってアプリ開いてまうわ!」
表面的には自由。でも内面は、ずっと責任とプレッシャーに縛られている。
そしてその奥には
“社長あるある罪悪感”が、静かに潜んでいます。
3時間睡眠でディズニーへ
「がんばらないとダメ」という思い込み
たとえば
経営者団体の懇親会。夜中3時まで飲んで、家に着いたら4時。
少しだけ仮眠をとって、朝9時にはオフィスに出勤。
「いや、今日はさすがに休んでもええやろ…」
そう思っても、なぜか
「でもオレ、社長やしな…」
と自分を奮い立たせて会社へ向かう。
休日はというと、家族からの「どこか連れてってよ!」コール。
「……ディズニー、行こー!」
(心の声:もうちょっと寝たい……)
「誰もそんなにやれって言ってないやん」って、自分でツッコミたくなるくらい、
気づけば“がんばってしまう”のが社長という生き物です。
アドラー心理学から見る「罪悪感の正体」
なぜ私たちは、自分に厳しくしてしまうのか?
この“がんばりグセ”の正体。
アドラー心理学では、それを「他者の期待を内在化した結果」と捉えます。
つまり、
- 親や教師、上司、世間から言われてきた「ちゃんとしなさい」
- 「立派でなければ価値がない」という信念
- 「弱さを見せてはいけない」という空気
こうした“見えない期待”を自分の中に取り込んで、
自分自身を“監視者”として縛っているのです。
だから、「ちゃんとせな」「結果出してからでないと休めない」と、自分を追い込みがち。
しかもアドラーは、「人は他者の期待を満たすために生きてはいけない」とも言います。
なのに、現実は
「え、最近ちょっと楽してない?オレ、大丈夫?」
と、自分にビンタをかましてしまう。
いや、ほんまに、社長って律儀すぎませんか。
「ちょっとしんどいねん」って言いたいだけ
罪悪感と上手につきあう方法
本当はこう言いたいだけなんです。
- 「元気そうに見えるって言われるの、最近ちょっとしんどい」
- 「なんか、誰にも“弱音”吐けてないな…」
- 「オレ…そろそろ癒されたい」
でも、それが言えないから、余計に“がんばりループ”が続いてしまう。
泣き言を言う必要はありません。
でも、自分を回復させる時間は、意識してつくる価値があります。
・気のおけない友人と、美味しいごはんを食べに行く
・社長仲間と、ゆるっと話せる会に顔を出す
・お気に入りのカフェで、ひとり、ぼーっと過ごす
・昔好きだった小説や漫画を、何も考えずに読み返してみる
誰と過ごすか、何をするかよりも大切なのは、
「自分が自分らしくいられる時間」をちゃんと持てているかどうか。
社長である前に、ひとりの人間として、自分を満たすこと。
それが、長く経営を続けるための、大事な土台になります。
罪悪感を「観察」できる社長は、しなやかに強い
罪悪感は、捨てるものではありません。
「ええやん、そう感じてるんやな」と気づいて、“観察”するものです。
- 「今、私“ちゃんとしてる社長”になろうとしてるな」
- 「うんうん、でも今日はちょっと肩の力抜こか」
- 「まぁ、誰も死なへんし。よし、コーヒーでも飲も」
そうやって、自分の内側にツッコミを入れられる人は、
経営を長く、しなやかに続けられる人です。
そろそろ、自分をゆるめる練習を
「この罪悪感、今日は寝かせとこ」
「休むのも、社長の仕事やで?」
そんなふうに、自分にひと声かけてみる日があっても、いいんです。
罪悪感を“ぜんぶなくす”必要なんて、ありません。
ただ、ちょっと距離を置いて観察する。
そして、自分を“ちゃんとさせる係”を、たまにはお休みさせてあげる。
がんばる自分も、ゆるめる自分も、まるっと抱えて進んでいける。
そんなしなやかさこそ、プロ経営者のたしなみです。
今日くらい、肩の荷をおろしてもいいんじゃないでしょうか?
そんな日があってこそ、またちゃんと、前を向けるのです。